フォト
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー

無料ブログはココログ

天衣織女

2011年8月17日 (水)

おりめサンの「バカもやすみやすみに言っちゃう」

「どんなもんだい!」って今叫んだら、あたりの空気はどんなんなんだろう。

まるで平日の水族館のようなカフェの片隅で、
私はもう4時間もジーッとかたまっていたのだから。

本当は台本を読もうと決心してやって来たのに、なぜかずっと大野更紗著の
「困ってるひと」を読み込んでしまっている。

ここ数日の過酷な暑さに、扇風機一本でこの夏を乗り越えてやる!…という
決心はしぼみきってしまい、今日も早々にこのカフェに逃げてきている。

そう、「困ってるひと」の作家風に言えば、ブレまくり女子の私である。

そんなブレ女の私は、本読みをひと休みし、さて台本へ…とは行かず、
今度は小さなラジオから耳にFM放送を流した。

すると“今週のトップ100”なんてのが流れてきた。

ボーッと聞いていた。

ランキングは…、精鋭のパラシュート部隊のように次から次へと韓流の
ボーイズ&ガールズグループが登場。

う~~~~ん。

それを迎え撃つ○○○48に×××48、そして48モドキ(ゴメンナサイ)が
日本列島のアチコチから登場。

う~~~~ん。なんだかなぁ、今ひとつ…なんだかなぁ~である。

私の年齢のせいなのか…いや韓流はむしろ私世代が熱いわけだから。

じゃあ、私自身の資質の問題か?

……今ひとつ乗りきれない私。

さて、そろそろ台本へ…じゃなく「困ってるひと」本に戻ろうっと。

その時だった。
耳に流れてきたのは「今週のトップ1はヤマタツの『希望という名の光』」

ヤマタツとはもちろん山下達郎である。
この曲は最近ラジオからよく流れてくる。
その度になんと美しい曲だ…と思っていた曲だ。

そりゃあもうなんだかすごいのサ。

どんな風に?…って?

なんかこう…とにかく美しいのだ言葉が。
サザンの桑田クン的に言えば言霊ということか。

で、私は突然叫びたくなったのサ。

「どんなもんだい!」と。

もちろん、そんなことはしません。お縄になりたくないから。

目の前がジンワリぼやけてきて、鼻の奥がツーンとしてきたけど、
そんなことまわりに悟られることなく再び「困ってるひと」本にもどって
ジーッとかたまった私。

さっきと違って心があたたかくなったけどね。

ところでこの本もすごいのだ。でも
「チョーすっげ~!」とは叫びません。

お縄になりたくないので。


カフェの片隅の硬直女子でした。

2011年4月25日 (月)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

『「わかっているよ」という言葉と朝の白湯』

「わかるわかる、わっかるわぁ~」

こういう合いの手が入る会話ほど、相手との距離の遠さを感じることはない。
だから、この「わかっているよ」も、てっきりその手のものだと思っていた。

人は他人の体の中には決して入ることができない。
だから人は人の気持ちをわかることは、なかなか困難なのだ。

そのことはわかっているはずなのに、それでもわかってほしいという気持ちは
何度も何度も頭をもたげる。

だから、いろんな角度から形容してみたり、いろんな例を出して説明してみたりする。
しかし、その努力とは反比例して、本質からどんどん絶望的に遠のいていってしまうのだ。

ある時、時々聞こえていた
「わかる、わかっているよ」という言葉の真意を、その人に聞いた。

その人はまるで私の身体の中に入っていたかのように私の気持ちの
かなりのことを言い当てたのだ。

私はビックリした。
とても思いがけなかった。

そして目からウロコならぬ、青ざめていた胃袋から冷たい鉛の甲冑がポンとはずれ、
一瞬にして暖かいものにつつまれたのだ。

数十年にわたり胃弱の私は、ここ数カ月調子が良い。
早く喰いで胃を痛めることはあいかわらずだが、根のところで
胃の中にポッと暖かいものがありつづけているのだ。

私はその人に助けられたのだ。
そして、私はこれまでも、何度もいろんな人たちに助けられてきたのだ。

災害や事件のニュースが毎日流れてくる。

その悲しみは想像を絶する。
私の思いなどアリンの思いよりももっと小さく、無に等しい。

だから、わかるなどと口がさけても言えない。
どうしたらいいのかさっぱりわからない。

ここ一カ月、私がやってきたことはオロオロし、ボォーとし続けたことだ。

「わかるよ」という言葉の薬を人様や友だちに与えるまでに私はいってないのだ。

あ、そうそう、朝の白湯っていうのは知人に聞いたのだが、
朝起きがけに、人肌ほどの温かさの(私はちょっと熱めにする)お湯を飲むと
胃袋が喜ぶ。
時にはギュギューッという鼻歌をうたいはじめることもある。

青ざめた胃袋をお持ちの方、お試しあれ。

2011年4月 8日 (金)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

『おぉ 12チャンネル』

テレビ東京のことである。

あっ、ここンチ、まだアナログだぁ~ などと指をささないでほしい。
7月までにはなんとかする予定だ。わかんないけど。

ところで今回の話題は先日の地震のような大きな出来事の時の12チャンネルのことなのだ。

これまでカルト集団の事件や事故、自然災害などが起こるたびに
テレビの全チャンネルは数日間そのことをえんえんと放送しつづけてきた。

私は、知るおそろしさと知らないでいる罪悪感の間でゆれながら、
結局画面にくぎづけになってしまう。
そんな信じがたい風景を写し出す画面を何日か見ていて、ある日ふっと

「12チャンネルはどうしているのだろう」と思う。
そして12チャンネルにかえる。

「春の花粉症対策」をやっていた。

おぉ! 12チャンネル! 普通だ。
アニメもやった。 80年代のナツメロもやっていた。
おぉ! 12チャンネル! 普通でいる。

あなたはあなたの道を歩いているのね。

私はこんな12チャンネルをきらいになれない。

色々なご意見はあるだろうが……。

たとえば、家族の中に小さな子どももいれば、身体の不調な方もおられるかもしれない。
この過酷な情報から少しだけ離れたいと思う人がいるかもしれないのだ。

大人は情報を見るとして、子どもたちにはアニメを見せるのも全然わるいことではないのではないか。

……などと理屈をこねたが、私自身ただただ普通でいてくれたことにホッとさせられたのだ。

他のチャンネルはおそるおそる娯楽番組を流し始める前から12チャンネルは
「春の花粉症対策」をやったのだ。

おぉ! 12チャンネル! あなたはあなたの道を行くのね。
そんなあなたを私はきらいになれないのだ。

あの…、ついでと言ってはなんですが、
情報番組やニュースの中で、大変深刻なことがらについて、
深刻気にそしてうたうように節をつけたナレーションが流れると、
私はすぐスイッチを切る。

2011年3月28日 (月)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

『あったかいもの』

受話器の向こうの彼女は、自宅での地震体験を興奮ぎみにまくし立てている。

私は古いタイプの漫才師のように「はぁ、はぁ、ほお、へぇ~」と
相づちをうつばかり。

それなのに私はずっとほほえんでいた。
私はあったかくなっていたのだ、心が。

私の安否を心配して電話をかけてきてくれた、このまくしたてる彼女に
私は心をあたたかくしてもらっていた。

「またなんか情報が入ったら、電話するね」

まるでどこかの諜報部員のように、さっさと電話が切れた。

私はまたほほえんでしまった。

890円の湯タンポにトポトポと熱湯をそそぎ、
それをグッと抱き、座イスにすわり、その上から毛布をかぶる。
私のひとりコタツです。
これがとてもとてもあったかい。

コンビニに入った。
あの地震の翌日だというのに、意外と変わった様子のない店内。
レジに支払いに向かう。

レジの店員さんは若い女性。

名札を見ると「り」と書いてある。
外国からわざわざ来て、この女の子はあの地震を体験したのだと思うと、
私は思わず話しかけていた。

「日本語うまいねぇ」

彼女は血色のいいまんまるの頬を持ちあげてニッコリ笑った。

「昨日の地震、怖かったでしょう?」 という私の問いかけに

「大丈夫、神様がついているから」 と彼女は天を指さした。

私は不意をつかれた。
そして思わずカウンター越しに彼女の頭をポンポンと触れて「良い子、良い子」をした。

彼女は少しおどろいた顔をして、まんまるの頬がますますピンク色になった。

帰り、ハテ、私の頭ポンポンという行動は彼女の国ではマナー違反なのだろうか…と
頭をよぎったが…しかたない。

私は多分、あの瞬間感動したのだ。
だから、しかたない。

2011年3月11日 (金)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

『トイレの丹下左膳さま』


最近はなかなか耳にしなくなった人名なので、かいつまんで申し上げるが、
“丹下左膳”とは昔、映画やテレビで主役をかざったお侍さんの名前である。

彼はなんかの理由で片腕しか使えないにもかかわらず、剣の達人なのであった。

って、別にその丹下さんが神様のようにトイレにおられる訳ではない。
つまり、、、その、、、トイレで片手しか洗わないご婦人ことを私は心ひそかに

“丹下左膳”と呼んでいる、、、、ということである。

丹下左膳婦人は神出鬼没だ。
場所が場所だけに、私は当然ボーっと鏡前に立っている。

と、突然私の横にスーッと現れ、
蛇口をむんずとつかみ、流れ出た水に“その手”を突っ込み、
何度かグーパーグーパーし、“その手”で再び蛇口を閉め、
“その手”を軽く数回振り、サーッと出て行かれるのである。

気のせいか、ハンカチを使ったところを見たことがない気もする。
多分、偶然だと思うが。

ある意味テキパキとしたその行動にあっけにとられた私は、
そのご婦人の後姿を目の端で見送りながら心の中でつぶやく。

『丹下左膳、見参!』

丹下左膳婦人の片手は丹下婦人のものである。

私に一切関係ないことなのだ。

なのに。。。。

この、なんて言おうか、なんとなく理不尽な残尿感みたいなものはなぜなんだろう。

「両手洗おうよ!使ってなくても使っても、まずは両手あーらーおうよー!」
などとシュプレヒコールする“両手洗いましょう組合”の会員ではないのだ、私は。

私は時々昨日使ったハンカチを使うことがある。
部屋もちらかっている(これは関係ないかなぁ)
でも、でもである両手は洗うのだ。

アライグマだって両手は洗う(これも関係ないけど)
キム・タクだって洗う。
オバマ大統領だって洗う。

サザエさんだって、サンタクロースだって両手は洗う、きっと。

丹下婦人は神出鬼没だと先程書いたが、実は出没頻度の高い所を私は知っている。

それはカルチャーセンターだ。
以前、カルチャーセンターに通っていた頃、時々お見かけした。

ある意味、ご婦人方にとって社交場的要素もあるカルチャー。
身なりのきちんとした、あるいは華やかなスタイルの丹下婦人を
お見かけしたことが何度もあった。

カルチャーセンターにおられる丹下婦人は、他のところの丹下婦人と少し違う。
流水に片手を突っ込む時の勢いになにやら確信めいたものがある。
少しの疑いもないその動作に、私の声に出して叫んでしまいたい衝動は正比例していく。

「丹下左膳 見参! その所作に一片の曇りなしッ!!」

・・・を口の中へ飲みこんで、再びボーッと鏡前に立ちすくむ私の頬の肉は
こころなしかいつもよりたるんで見えた。

2011年3月 4日 (金)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

ミッキーはすごい。
ディズニーランドに住むあの生き物である。

去年のあのおそろしい真夏日、めいっぱい“パー”に開いた手のひらを
プルプルと動かし、来客の声援に全身で答える様子をニュースで見た私は、
不覚にも感動してしまった。

なんでも彼はアメリカやフランス、香港、東京などそれぞれのディズニーランドには
同時に登場しないのだそうだ。

だってミッキーは地球上に一匹だけだから…。

なんという“すき”の無さ。
なんというプロデュース力。

だからこの不況下でもあの国、ランドは商売繁盛なのだ。

が、しかし、わが国には“ひこニャン”がいる。

どこかの県のなんとか城のマスコットとして超有名なのだ。

それにひこニャンだけじゃない。
“ゆるキャラ”と呼ばれる生き物が日本中アチコチに生息していて
それはミッキーと比べるとかなり貧相だったりする。

頭と胴体のつなぎ目から見えてはいけないものが見えたり、
真夏の暑さにフラフラとへたりこんだゆるキャラも見たことがある。

それでも“かわいい”と“かわいそう”の間を行ったり来たりさせてくれる
ゆるキャラが私はなんとなく好きだ。

そう、私たちはゆる~いものが好きだなのだ。

そう思っていた。 K-POPが来るまでは。

突然、お話が変わって申し訳ないのだが。。。

歌のクオリティがハンパ無く高いくせに(?)、その身長で長い手足をブルンブルンさせて
ダンサーなみの、いや、それ以上のキレのダンス。
その上、日本語がうまい。いや、うますぎなのだ。

どこまでも巧みなそのプロデュース力、K-POP。

数年前、ヨン様とチェジュウ姫の波にヘロヘロにされた私たち中年だったが、
今回の波はちょっと質が違う。
その戦略的、政治的、プロデュース力は少し恐いくらいだ。

それまで私はゆる~いものを良いと思ってきた。
ローラースケートに乗り、時々コケるのがお愛想のアイドルグループ。
NO.1よりオンリー1と軽い手振りだけですますアイドルグループ。

私たちはこう思ってきた(多分…)

「歌は今ひとうだけど、あの子わりとMCうまいから、ま、いいんじゃない」

「歌もダンスも顔も今ひとつだけど、性格いいし…、ま、いいんじゃない」と。

そこを突いてきたのだ。

キビシイ競争社会で生き残ってきた精鋭の彼らは、
時に顔まで変えてやってくる。
その肝の据わり方は「寿司食いねぇ」と、ちと違う。

先日、友人が新大久保で忘年会を開いたと聞き、

「えッ! 新大久保? ね、ね、韓国人のイケメンいた? ね、ね」と
思わずテンションをあげてしまった私に、友人のあきれ顔。

私は思わず我に返り、顔が熱くなるのを感じた。

そしてまた突然、お話は変わる。

TVをつけると歌手が歌っている。

サザンのクワタだ。

画面の中で病み上がりのクワタ君は、少しほっそりし、
ちょっとだけ青年にもどったような、
それでいて少し老成したようにも見える。

LとRとTの独特の発音で、おどけた動きで歌うクワタ君は、
ひとことひとことをかみしめるように、丁寧に、
そしてゆったり歌っていた。

私はじゅずつなぎに流れる頬の涙をふかずに見つづけた。