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2018年5月15日 (火)

『涙…なかった』by芹川 藍

「よっしゃ行ってみよう、何かわかるかもしれない」
年齢を重ね、いろんな気持ちの迷い子になってる今だから…。

かつて稽古場にしていた米軍ハウスを探しに行った。
もう40年の時を経ている。
1974
年から約10年間、青い鳥が稽古場にしていた米軍ハウス。
どんなに大きい音で騒いでも誰からも苦情が出なかったあの稽古場に。

すでにその場所には米軍ハウスは無いことは分かっている。
近くにあった米軍基地も昭和記念公園になって、もうずいぶんになる。
でも…、その場所に行けばなんか思い出すものがあるかもしれない。


うっすらとした記憶の中。
青梅線「東中神駅」から20分ほど歩いた場所だったはず。

夢と希望と豊かさのあったあの頃。
30
円のラーメンをお昼に作って食べてたあの頃。
みんなの顔がパーンとして怖いものなんか何もない。
キラキラしてたあの頃。

「いつかバイトはしなくてもよくなったらなあ…」と、みんないつも思っていた。

私は稽古場代をうかすため何年か住んでいた。
新宿でバイトして夜中の2時頃に帰り着き、寒さに震えた。
…あの稽古場。


探した。その場所を…。
ウルウルうろうろしながら探した…。
分からない。
どこに青い鳥の米軍ハウスの稽古場があったのか分からない。

あの頃のような真っ青な空が切羽詰まらせた。
見つからない…

そりゃあ40年も経てばなんの面影もないわなあ。

いつも買い物した雑貨屋はたしかこの角。
葛西さんがいつもトイレを借りてた病院はあそこ。
みんなで拾った銀杏の木の団地があって…。
心の中の、気持ちの中の、頭の中の「記憶の箱」を開け続ける。

たしか米軍の引き込み線を歩いたはず!

…消えていた。
なにもなかった。
引き込み線の後の碑だけがあった。

そしてたしかここを曲がる…
たしかここは砂利道で…
たしかここらをあたりにやせた犬がいて…

わからない。。。
見つからない。。。

南の島に散った我が子の骨を探すように。

わからない。
せめて小さなかけらでも。

えーと、住所は…

東京都昭島市中神町〇〇〇〇S―56。
〇〇〇〇が思い出せない。

別府に帰っている記憶力バッグンの天光さんに電話した。

…わからなかった。

わからなかった。
時がたったんだ。
もう消えたんだ。

帰ろう。

そこに天光さんからメールがきた。

「ぺこさんがあの、中神のあそこらから声を送ってきたみたいだった~」

うううう~っ



こよなく晴れた青空を…
悲しいと思うせつなさよ…
うねりの波の人の世に…

1

2_3

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コメント

実家に帰るたびに墓参りに行きます。
コンビニで花を買ってぶら下げて歩いて行きます。
お寺に行く途中には私の通った小学校が、お寺の先には中学校があります。
9年間通った道です。一本道なので迷いません。
しかし景色は様変わりです。
道の両側にあった畑も田んぼもありません。
だから、熱があって早退した時に落ちた肥溜めもありません。
郵便局は銀行に、保育園は消防署に、小学校跡地に建てられた町役場は市役所という名前に変わってます。
そこには友人2人が勤めていますが寄りません。
市役所の隣の図書館には親友が勤めていますが寄りません。
田舎は車社会なので歩いていても、滅多に人とすれ違いません。

お寺に着くと、雑草を取り、水を掛け、花を供え、お線香をあげた後、墓石の前で一服して帰ってきます。
帰りは、よく買い食いをした美味しいパン屋さんに寄って昼食用にメロンパンを買います。
こうして、帰省した数日のうちの半日が終わります。
なぜ私は毎回お墓参りに行くのでしょうか。

ところで、昭和記念公園の北側に住所は立川市で「アメリカ村」と呼ばれている住宅街があります。
平屋の可愛いお家が等間隔に整然と並んでいて、他とは違う独特の雰囲気のある素敵な場所です。
私はずっと、そこが青い鳥の方々が稽古場にしていた所だと思い込んでいました。
間違いが分かって良かったです。

草木が生茂った引き込み線を歩いたあの日と
突き抜けるような青空に日傘をかかげた日は
もしかすると同時に存在するのかもしれない。

想いは時を翔けて、明日に続いていく。
今日も、今この時も、全てがここに在る。

そんな気にさせる写真です。

一つの作品のようです。

自分の持っている時は過ぎるのが遅いけれど
周りの時は過ぎるのが早い。
いや、その反対なのか?
あっという間に時が過ぎて、何かが変わり
何も変わらない自分がいるのに
あの時の風景は様変わりしている。

自分が持っていた小さな世界
その小さな世界から何かが始まり自分の世界が広がっていく

たとえ小さな世界でも その場所が様変わりしても
自分にとっては大切な場所

切なさと清々しさと 
決して忘れてはならない大切なことことが詰まっている
すごく大切なこと 
そんな笑顔

げんちゃんさん。オイ❗あなたが考える感傷的なことではないからね。

感傷的→物事に心を動かされやすく涙もろいさま、センチメンタル。

二人が初めてデートした場所に行ってみようとか、二人暮らしたアパートに行ってみようとか…。そんな感傷的な薄っぺらいものではない。

心の蓋を開ける…傷を開いてみる…吐きそうなことですから。

時が過ぎたことをしっかり見ました。

歩きながら食べたメンチカツの匂い、道端でもいだイチジクの甘さ、
小学校の横のチューリップツリーの木肌の怖い顔、
近所のコウタや、のりちゃん、あつおくんの声、
一瞬にして蘇るあの頃の眩い時間。
いつだって思い出せるのに、
もう見ることも、聞くことも、触ることもできない。

でも、いつだって青空は同じにあるんだね。
芹川さんの頭上に青い空と白い雲があるんだね。

何だかものすごく切ないけど、
ちょっとうれしい、そんな気分になりました~~~

芹川さん、ずいぶん感傷的なことするんだなぁと思った。今の気持ちは見つかりましたか?
人はいくつになっても迷える子羊なのか。
あたし、20年後の自分に手紙を書いてみよう。

そこを曲がったら坂道があって
今でも夢になると、こどもの頃の道の中にいます。。。
セピア色の芹川先生の声が、天光先生に届いている。
これかも、ずっと。
私の声をつかまえてくれる人は残念だけどいない。
愛しい確かな時間を、重ねている青い鳥が大好きです。

風景は変わってしまったのかもしれないけれど。
時間は経ってしまったのかもしれないけれど。
自分の知らない頃の芹川先生と青い鳥。
そして今の芹川先生と青い鳥。
そこにはずっと変わらず繋がり続けている時と想いの流れがあるのかな…
と、想像の翼をひろげてみました。

母の日、実家に行った帰り道、
ふと思い立って母校(小学校)に行ってみた。

数年前に建て替えられたと聞いていたが
淡いオレンジ色の校舎でかっこよかった。

本降りの雨で誰も歩いていない。

通学路を辿ってみた。
そう、この公園の角を曲がり、次にフェンス沿いの道・・・
あ、あった~ 古ーいフェンスがそのままだ!
でもその道は私の軽自動車も入って行けない狭い道で
バックして戻った。
小学生の私には倍の広さがあったけどなぁ。

ちょうどその時、私は2階の納戸にいました。
頭クラクラしながら何十年も前の青い鳥の台本やらチラシやらが詰まった箱を開けていました。
携帯のベル。芹川さんの声「稽古場の住所はなんだっけ?」
一瞬にして、あの米軍ハウスまでの引き込み線、歩いて通った道筋、ちょうど今頃の季節、緑も空もあまりにまばゆかったあの瞬間にあっという間に連れて行かれた。芹川さんの声はまるで半世紀近く前の、稽古場があったあの空間から届いたみたい。ちょっとドキドキ。
weep過ごしてきた時間がいっぺんに吹き抜けた感じ。weep

"探しに行かれたんですね。 40年前の自分を……。 いろんな気持ちの迷子になっている今だから…… 何かわかるかもしれない…… でも、何も無かった! それが答えでしょうか? 私も、18才の時に東京に出て行きました。42年前。最初に住んだ三畳一間のアパートは、もう無いでしょうね……。 過去を振り返る時に、実際その場所に行ってみるのは、勇気と気力が必要ですね。 今年、私の実家が甥っ子夫婦の家を新築する為に半分程、更地になりました。もう、昔の面影は半分だけになりました。 しかし、私も、ひたちなか市に来て、25年になります。 実家も私も、今そしてこれからが大切だと思います。 思い出は大切に心の中にしまっておきます。 上手くまとまりませんが、ちょっぴり悲しくて、ちょっぴり荷物をおろしたような感じがしました💞"

セピア色の思い出の写真って、見てるだけで、泣きそうになります。

なんだかドキドキします。

そのまま、芹川先生が写真から飛び出してくる気がします。
(((o(*゚▽゚*)o)))♡

40年経つと、色々な事が変わるものですね。
区画整理などがされた後はもう、全く違う街みたいになってしまいますね。

朝ドラ「花子とアン」で、花子が卒業した女学校のブラックバーン校長が、卒業式の日に語った言葉を思い出しました。
「女学校時代を思い出し、あの頃は良かったと思ってはいけません。
最上のものは過去にはなく、未来にこそあるのです。」
という内容だったと思います。
もちろん、まだ若い、前途ある女性たちへ贈った言葉なのですが
青い春や光の夏を過ぎ、色を深める秋の只中、やがて来る白い冬を目の前にした私の心にも、響く言葉でした。
ブログを拝見して
先生もまた、未来へ向かって最上のものを模索していらっしゃるのだと思いました。
お若い写真の先生を見て、いつも思うことがあります。
先生の昔を知らない私だから、そう思うのかもしれません。
私は今の先生の方が素敵だと思います。ずっと。

何回も読み返しました。
劇団青い鳥の歴史。
私も最近、昔をよく思い出しながらあの頃無茶したなぁ〜 でもなんかキラキラしてた。
歳を重ねて私が、芹川先生、青い鳥に出会って、まだ7年です。
今の自分がキラキラしていたいと思って始めた表現の世界、遊ぼ塾。
今の先生に出会えたことに感謝❣️
でも、キラキラしてたセピア色の芹川先生に会いたかったなぁ〜って思います。
先生、ありがとうございます。

時々開くずいぶんずいぶん前の演劇誌の中の皆さまの笑顔。
「S-56 UEMURA+HASHINO 青い鳥」と木の表札がある米軍ハウスの前で撮られた一枚。

一気に、青い鳥をひとりで追いかけまわしていた日々が蘇ります。

風景は変わってしまうし失われてしまうけれども、この記憶と気持ちはずっと私の中に在ります。

今あらためて、自分も含め、一人ひとり違う宿題があり、1つの舞台づくりを目標にひとりぼっちではなくてみんながそれぞれに向かっていけるよろこびを噛みしめています。
それを厳しくも優しく見守ってくださる芹川さんに、よりよい作品づくりを通して少しでも恩返しすることができれば、、、そしていろんな人に観てもらいたいと思います。

セピア色の写真の中の芹川藍さま

あなた様の 青い鳥のみなさまの 過ごされているその日一日一日が
夢と希望と豊かさの日々が、今に、今日に、私に繋がっています。
そのことにただただありがとうございますという思いです。


セピア色の写真の先生も今の先生も同じ笑顔で素敵でシビレます。
素敵な先生へ

この広い野原いっぱいさく花を
ひとつ残らず あなたにあげる
赤いリボンの 花束にして

40年前…。
切ないです。
時々、かつて住んでいた場所に行ってみたくなることわたしにもあります。

道路は整備され家が所狭しと立ち並び、地下鉄が通っていたりして、それこそ、セピア色の深い思い出が薄っぺらな風景と化しがっかりこそしても、抱きしめたい景色はありませんでした。

思い出は思い出として頭の中に甘酸っぱいいつでも引き出せるものとして納めておくのがいいのかもしれません。

先生の40年前の写真、可愛い❤️です。
今の先生も、変わらず魅力的です。

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