フォト
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

カテゴリー

無料ブログはココログ

« 『五のレシピ 〜わたしはここに在る〜』 | トップページ | 『五のレシピ』に感謝~by芹川藍 »

2015年3月 9日 (月)

納戸で見つけた~by天光眞弓


納戸で古いカメラを見つけた。私達姉妹が子どもの頃を父が撮っていた。
アルバムには子どもの頃の写真がいっぱいだ。

私が40歳くらいの時。
一緒にテレビを見ていたら近くの観光地が映った。
「ホラ覚えとらんね?2人が子どもの時、一緒に行ったたい」
高原の小さな動物園、小さな遊園地。ウサギやヤギと遊んでゴーカートすっ飛ばした…行った、家族で。もちろん父はカメラと一緒。
姉妹ともとっくに20代半ば過ぎだったけど。

「お父さん、行ったけど私達、子どもじゃなかったよ」
父の顔。
「そんなバカな」でも「ウソだろ」でもない、情けないような、承服できないような…

思い出の中では子どもは子どもだった。

「うん、行った。子どもの時」
って答えたら大人の思いやりだったかな~
父の誕生日が近いからか。ちらほら父の顔が浮かんでくる。
あちらの世界じゃ意味ないかもしれないけど。

« 『五のレシピ 〜わたしはここに在る〜』 | トップページ | 『五のレシピ』に感謝~by芹川藍 »

コメント

両親ともに逝っていまい、生家の納屋もカラッボです。

ただ思い出は妙に鮮明になってきます。

不思議です。

子どもの頃の天光さんってどんな感じだったのでしょう?
見てみたいです。

レトロなカメラですね…ピントも露出も自分でしないといけなくて…動く子供にじっとさせて…写る方もなんか緊張した時代が確かにありました。

わ~家族を見守っていたカメラですね~
一眼レフですか????

私の家にはカメラがなく汽車で5時間以上かけて祖父が
二眼レフのカメラをもって私たちの成長の記録を残してくれました。
その二眼レフのカメラは祖父の形見として今、本棚にアルバムと
ともに飾ってあります~

なんとなく、古ぼけたカメラでも
暖かい眼差しを感じますね!

幾つになっても親にとっては子供は子供
優しい言葉もなかなかかけられない
それも親子なのかな~

納戸は思い出の宝庫ですね~

いいなあ。。。私は子ども頃の写真は3枚しかないし、ましてや写真機は写真屋さんにしかなかったから。。。。愛されてたんですね。。。天光さんは。

思い出というのは、ふいにそういう突拍子もないようなおかしな記憶で懐かしむことなんじゃないかなあと思いました。


くっきりとなんとも言えない表情の顔の皺までよみがえり、思い出すことができる…。

納戸や押し入れや引き出しには悲喜こもごもが詰まっているような気がします。

素敵なカメラに心が釘付けになり、御家族にカメラを向ける姿を思い描きました。天光さんの福岡?言葉、なんか嬉しいです。きっちり午後から降りだした雨に、私は老健にいる義父がうたたねしているかたわらで、爆睡しそうになりながらも、あの九州ちっくな言葉の方はどちらの出かという疑問をやっとスタッフの方に聞けて、大分と知り、さらに103歳なのがその方だというのも!フロアで一番よく喋り一番お元気な一番の年長者。雨の日は色んなことが出てきますね。天光さんのブログも遡り拝見しています。

いつも、ではちょっと困るけれど、時々そんなふうに思い出してもらえたら、
きっと嬉しいだろうな、と思います。
何かの折に触れて、ごく近しい人にしかわからないかたちで思い出して、そして
笑ってもらえたら、この次はどんなふうに思い出してくれるのかな、と
にまにましてしまうと思います。
私なら。

納戸というのは不思議な場所です。
光の届かない奥のそのまた奥にぽっかりと開いている暗いけれども怖くはない
空間があるようです。


うちの実家の蔵は、悪いことをすると放り込まれる場所だったので今だに怖いですが。

親にとっては、子供はいつまでも子供ですよね~。
姉が大学生の時、父が山に登るので心配でついて行ったのに、
父は他の人に「子供が一緒なんですが・・・」と言っていたらしい。
どっちが付き添いのつもりなのか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1393125/59205929

この記事へのトラックバック一覧です: 納戸で見つけた~by天光眞弓:

« 『五のレシピ 〜わたしはここに在る〜』 | トップページ | 『五のレシピ』に感謝~by芹川藍 »