フォト
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

カテゴリー

無料ブログはココログ

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月30日 (土)

ゴムバンド 〜もりもと えみ〜


ついに、ゴムバンド。買いました。


1304124200377.jpg


これは装着すると「胸がきれいにみえる」らしいグッズなのですが、


これをみた瞬間「肩凝りがなおるかも」とトキメキ、やっと買いました。

中学生からずっと肩凝りです。

最近、肩凝りから、首凝り頭痛も引き起こし、


それでこのゴムバンド。に飛び付きました。

装着2日目です。

いいのかどうか、まだよくわかりません。

買った瞬間は、肩凝りのない未来を想像し、身体が軽くなったのは、事実…ですが(((^^;)


780円の夢を買っただけなのでしょうか。

引き続き装着してみようと思います。

2011年4月25日 (月)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

『「わかっているよ」という言葉と朝の白湯』

「わかるわかる、わっかるわぁ~」

こういう合いの手が入る会話ほど、相手との距離の遠さを感じることはない。
だから、この「わかっているよ」も、てっきりその手のものだと思っていた。

人は他人の体の中には決して入ることができない。
だから人は人の気持ちをわかることは、なかなか困難なのだ。

そのことはわかっているはずなのに、それでもわかってほしいという気持ちは
何度も何度も頭をもたげる。

だから、いろんな角度から形容してみたり、いろんな例を出して説明してみたりする。
しかし、その努力とは反比例して、本質からどんどん絶望的に遠のいていってしまうのだ。

ある時、時々聞こえていた
「わかる、わかっているよ」という言葉の真意を、その人に聞いた。

その人はまるで私の身体の中に入っていたかのように私の気持ちの
かなりのことを言い当てたのだ。

私はビックリした。
とても思いがけなかった。

そして目からウロコならぬ、青ざめていた胃袋から冷たい鉛の甲冑がポンとはずれ、
一瞬にして暖かいものにつつまれたのだ。

数十年にわたり胃弱の私は、ここ数カ月調子が良い。
早く喰いで胃を痛めることはあいかわらずだが、根のところで
胃の中にポッと暖かいものがありつづけているのだ。

私はその人に助けられたのだ。
そして、私はこれまでも、何度もいろんな人たちに助けられてきたのだ。

災害や事件のニュースが毎日流れてくる。

その悲しみは想像を絶する。
私の思いなどアリンの思いよりももっと小さく、無に等しい。

だから、わかるなどと口がさけても言えない。
どうしたらいいのかさっぱりわからない。

ここ一カ月、私がやってきたことはオロオロし、ボォーとし続けたことだ。

「わかるよ」という言葉の薬を人様や友だちに与えるまでに私はいってないのだ。

あ、そうそう、朝の白湯っていうのは知人に聞いたのだが、
朝起きがけに、人肌ほどの温かさの(私はちょっと熱めにする)お湯を飲むと
胃袋が喜ぶ。
時にはギュギューッという鼻歌をうたいはじめることもある。

青ざめた胃袋をお持ちの方、お試しあれ。

2011年4月22日 (金)

割り込みさせて〜天光眞弓

この前の記事、テンコウダスとわかっていただいてありがたい!うれしい!

いつもは火曜日担当なんですけど〜、なんかこれ、読んでもらいたくて〜割り込みです。

私、近頃ツィッターしてます。
ツィッター先輩の芹川サン、裕子チャンに教わって、なんとか始めました。地震の直後からです。
地震の時、携帯が通じなくて公衆電話も通じなくて、ツィッターは通じたというし〜

近頃は自立してあちこちに手を伸ばしています。
そこで見つけたものです。
大阪の、あるボランティア団体のイベント(4月17日)に寄せられた福島の高校生の手紙です。
転載OKです。
私は東京でニュースと小さい余震にビクビク、ザワザワしているけど、それは被災した当地から比べたら、とんでもなくノンキなのです。
この手紙、読んでも苦しみを分け合えるわけじゃないけど〜〜〜読んで下さい。


■真実

助けてください
福島県南相馬市の
女子高校生です

わたしは友達を津波で
なくしました
私の友達は
両親をなくしました
私の無二の大親友は
南相馬でガソリンが
ないため避難できずにいます

電話やメールでしか
励ますことしかできません

親友は今も放射能の恐怖と
戦ってます

だけどもう、諦めてました

まだ16なのに
死を覚悟してるんです
じわじわと死を感じててるんです

もし助かったとしても
この先放射能の恐怖と
隣り合せなんです

政治家も国家も
マスコミも専門家も
原発上層部も全てが敵です
嘘つきです

テレビでは原発のことが
放送されなくなりつつあります
同じ津波の映像や
マスコミの心ない
インタビュー
口先だけの哀悼の意
被災を『天罰』と言った政治家

政治家はお給料でも
貯金でも叩いて助けて下さい

彼らの贅沢をやめて
被災者を生きさせて下さい

命令ばかりしないで、
安全な場所から見てないで、
現地で身体をはって助けてください

私達は・・・見捨てられました
おそらく福島は隔離されます

完全に見捨てられます
国に殺されます

私達、被災地の人間は
この先ずっと
被災者を見捨てた国を、
許さないし恨み続けます

これを見てくれた人に
伝えたいです

いつ自分の大切な人が
いなくなるかわからないです
今隣で笑ってる人が
急にいなくなることを
考えてみてください

そしてその人を
今よりもっと大切にして下さい
今、青春時代をすごす
学校が遺体安置所になってます
体育や部活をやった
体育館にはもう二度と
動かない人達が横たわってます

どうしたら真実を
一人でも多くの人に
伝えられるのか・・・
一人でも見て貰えれば幸いです
考えた末、勝手ながら
この場をお借りしました
ごめんなさい、そして
ありがとうございます

2011年4月19日 (火)

私が小学校の時、転校してすごした飛騨の小さな町では桜はまだまだ。
雪が深い町です。4月の末、お祭りがあります。お祭りの一番盛り上がる25日には風に乗って桜吹雪が町を包みます。美しい季節です。
近頃、今もその町の近くに住んでいる友達からメールが来ました。
ご近所のお花見がなくなったって。いわゆる「自粛」っていうやつで。
なぜ集団で「自粛」だろう?
楽しい事をやるのは、辛い状況の人たちに申し訳ない?自分たちばっかり楽しむのは気が引ける・・・?
1年に一度のささやかな楽しみをなくせば・・・被災地の方々に何か素敵なことを届けられるのだろうか?

岩手のどこかの小さな村、被災した方々が村のお寺に避難している。
そこの皆さんがお花見している様子をテレビで見ました。
中学生が叩く和太鼓がかっこよくて泣きました。
素敵な人たちだと思いました。
それぞれの力のまま生きている姿が素敵で。


地震や原発のせいにしてしまうのは、申し訳ないけど・・・
ここしばらく頭が回らないなと感じて・・・
いや、ちょっと違うな。・・・頭をからっぽにしたい、みたい。
だけど不安だし、胸がザワザワする。
だから反対にツィッターで原発情報、地震情報ばかりを追いかけてしまう。
私なんか被災地に比べたら「安心、安全」の場所にいるのに。
こんな「安全な」東京で〜頭をカラッポにしたい〜なんてボケたこと言ってる場合じゃないです〜

2011年4月14日 (木)

「私の実家の秘密…」もりもとえみ

近内さんのブログを見て、思い出した事が!

私の実家にも隠れた秘密があったのです。


私は越前ガニと同じ出身です。
なので青い鳥の先輩たちに「カニを食べられていいなぁ」と羨ましがられていました。

カニと同郷だからといっても、いつも食べられる訳ではありませんが、毎年お正月には当たり前のようにカニを食べていました。

ふと母に「カニを食べてる事を羨ましがられたよ」と話すと
「あれは冷凍のアメリカ産よ、みんなも食べればいいのにね」と言われました。
…びっくりしました、無駄にやたらに、無性に、びっくりしました。

…どの年のアメリカ産もすっごくおいしかったんですが。

…思い込んでいたことが、覆されたショック。ハハハ。

その年の冬、母が 「今の時期なら越前ガニよりおいしいよ」とセイコウガニを稽古場に送ってくれて、みんなでムシャブリつきました。

思い込みってすごいです( ̄▽ ̄;)

2011年4月13日 (水)

「実家の塀が…!」近内 仁子

宇都宮が震度5だったので実家に電話しました。
地震は大丈夫?と問うたなら
母「揺れたけど全然大丈夫。
うちの塀、お豆腐屋さんが作った割にはビクともしないんだnote」と。
仁子「なに屋さんが?塀作ったって?」
母「お豆腐屋さん。きっと慣れてないから丁寧に作ってくれたんだよhappy02
そんなわけで
実家の塀はお豆腐屋さん作。
なんでやね~ん!……一瞬、地震を忘れそうな、驚愕の事実でした。

2011年4月12日 (火)

「桜もごちそうも」〜天光眞弓

日曜日、お花見しました。
多摩川の土手です。近くの公民館で「てんこうランド」をやった後です。
いつもASOBO塾でやっている身体ほぐし、のばしなどをたっぷり1時間半。
自由参加でしたが17人が参加してくれました。

公民館まで、こんな道をを歩いて来てくれました。

Photo

今年はお花見したいと、私思いました。
自粛、の声に意地張ったわけじゃないけど、3月からこっち、胸がザワザワするし、ムカムカすることも起こり続けているし、
なのに、桜は雨にも負けず、風にも負けず自分のペースそのままに咲いているし。別に私たちを慰めようとか、励まそうとかも思わず、季節の時間を感じて自分のままに生きているだけだから。
それに倣うつもり?・・・ってわけでもないんですけど〜

ささやかに、のつもりご馳走が揃ってしまいました〜!

P1030386_2


一瞬、桜のこと、忘れました。
でも、みんなの顔を久しぶりにちゃんと見られたような気がしました。

ひたちなかの皆さんがお花見してます!って写真を送ってくれました。
東京でもこんなことしましたっていう写真です。見て下さい。

P1030384

心の底には、なんだかモヤモヤ、ムカムカが漂っているのですが
とにかくノンキに桜の見事さに「お〜」
ご馳走のおいしいことに「わ〜」
いちいち大騒ぎできたこと、幸せでした。
ありがとう、みなさん!!

2011年4月 8日 (金)

おりめサンの“バカもやすみやすみに言っちゃう!”

『おぉ 12チャンネル』

テレビ東京のことである。

あっ、ここンチ、まだアナログだぁ~ などと指をささないでほしい。
7月までにはなんとかする予定だ。わかんないけど。

ところで今回の話題は先日の地震のような大きな出来事の時の12チャンネルのことなのだ。

これまでカルト集団の事件や事故、自然災害などが起こるたびに
テレビの全チャンネルは数日間そのことをえんえんと放送しつづけてきた。

私は、知るおそろしさと知らないでいる罪悪感の間でゆれながら、
結局画面にくぎづけになってしまう。
そんな信じがたい風景を写し出す画面を何日か見ていて、ある日ふっと

「12チャンネルはどうしているのだろう」と思う。
そして12チャンネルにかえる。

「春の花粉症対策」をやっていた。

おぉ! 12チャンネル! 普通だ。
アニメもやった。 80年代のナツメロもやっていた。
おぉ! 12チャンネル! 普通でいる。

あなたはあなたの道を歩いているのね。

私はこんな12チャンネルをきらいになれない。

色々なご意見はあるだろうが……。

たとえば、家族の中に小さな子どももいれば、身体の不調な方もおられるかもしれない。
この過酷な情報から少しだけ離れたいと思う人がいるかもしれないのだ。

大人は情報を見るとして、子どもたちにはアニメを見せるのも全然わるいことではないのではないか。

……などと理屈をこねたが、私自身ただただ普通でいてくれたことにホッとさせられたのだ。

他のチャンネルはおそるおそる娯楽番組を流し始める前から12チャンネルは
「春の花粉症対策」をやったのだ。

おぉ! 12チャンネル! あなたはあなたの道を行くのね。
そんなあなたを私はきらいになれないのだ。

あの…、ついでと言ってはなんですが、
情報番組やニュースの中で、大変深刻なことがらについて、
深刻気にそしてうたうように節をつけたナレーションが流れると、
私はすぐスイッチを切る。

2011年4月 7日 (木)

節電ロマンチック〜もりもとえみ〜

只今、小田急に乗っています。
夕日に照らされたホームに、真っ暗な電車がやってきました。

真っ暗な電車に乗って、夕焼けの桜を、窓から眺めました。

何でもない景色が、映画のワンシーンようで…こんな風景があったなんて。

節電ロマンチックぅsign04

「はい!お花見しましょ!」近内 仁子

どうして大きな河川の土手には桜並木が植えられてるのか、ご存知ですか?

江戸時代、「河原の土手に桜を植えれば、春にお花見で大勢の人が集まって土手が踏み固められる」と、幕府が桜を植えたんだそうですcherryblossom

毎年春に踏み固められて、河川の氾濫に耐えられる強い土手を作る為の水害対策だったそうです。

だから地震で地面がゆるんでいる今こそ、お花見に繰り出しましょ!

2011年4月 5日 (火)

「お花見する!」〜天光眞弓

自分からお花見をしようと思いました。
今まで、回りの誰かがお花見、お花見と嬉しそうに予定を考えているのに、まあ、行ってもいいよ〜と曖昧に、流れに乗せてもらいました。
今年は例の自粛ムード。
自粛〜〜〜本来は自主的な、他から指示されないもの、なのに、なぜか、どこからか「自粛」が求められる・・・

それに反抗してお花見しようっていうんじゃないですよ〜

いつものように春が来て、桜も咲いてます。
私たちがささやかに桜の花や春の空を愛でても、被災した方々が辛くならないでしょうし、
「復興」の邪魔にもならない、ですよね〜。
むしろ被災地を思って自粛なんて、被災地の方々にとって本当にありがたいことなんでしょうか。

っていう理屈?だかなんだかは、本当は後付け。

なんだかわかりませんが、
豪勢なお花見弁当もバーベキューも要らない・・・あ、ウソ!
今まで豪華なお花見してきたみたいじゃないか・・・

何のごちそうも持たなくていいから。
ただ桜並木の河原を歩くだけでいいから。
いつもと同じように桜が咲いてるから、ちょっとだけ一緒に見上げてみましょ。

2011年4月 2日 (土)

父からの電話 葛西佐紀

2月末に父から電話があった。
「羽毛布団、いるか?」
「あれば使うけど・・・お父さん使わないの?」と私
「羽毛布団てやつはな、熱すぎるし、軽すぎる!」と父

羽毛はそこが売りなんだけどなぁと思いつつも、何となく分かる気もする。

「新品じゃないんだ」と私
「2,3回しか使っとらんぞ、新品と変わらん、ちゃんとしたものだぞ」と父
「へぇ~、使う、使うよ、うれしい」と私
「じゃぁ送ってやる、そのうちに、待っとれ」と父
「うん、待ってる、ありがとね」

90歳の父親が、東京で一人暮らしの60歳の娘に羽毛布団を送る。
電話を切った後、なんだか可笑しくて、切なくて・・・・・・

その父親から今週のはじめ、電話があった。
「しばらく家に電話してもおらんからな」
「えっ、どっか行くの?」
「明日から東北にいってくる」
「東北って!今大変なんだよ、お父さん!!原発だって・・・・・」
「何ゴチャゴチャいっとるんだ、大変だからだろ、うちの若いもん連れて行ってくる」
「でもただ行けばいいってもんじゃないんだよ、お父さん!」
「わかっとる、ちゃんと段取りはついとるから安心せい」
「安心せいって言ったって・・・携帯電話だけは繋がるようにしておいてよ」
「わかった、じゃあ切るぞ」
「・・・・・・・・・・」

父親は木を植えることを生業としてきた。
そんな父はあの瓦礫の、何もかも海にさらわれた光景を見て、いてもたってもいられなかったんだろう。

はたして、私が90歳まで元気で生きていたとして、
そんな意欲を持つことができるだろうか。
それを思うと、私の父は結構スゴイ!

ともすると沈みがちな私に、はっぱをかけられた父からの電話だった。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »